![]() ステージ4大腸癌患者のAさん。ご機嫌いかがですか。 今日は、時々訪問するブログに感動したので、ここに引用したいと思います。 「よこはま若者サポートステーションへようこそ」がそのサイトです。 この組織のプロフィールを見ると、「15歳~34歳までの就労支援施設です。個別相談を中心としながら、一人ひとりの「働くまでの道のり」を一緒に考えます。多くの機関や団体(人)との関わりの中で皆さんが社会の中で自分らしく生きていけるよう私たちは皆さんの活動を応援しています。」とあります。がん患者とはまったく関係がありません。 5月10日の記述です。多分若いスタッフが、正岡子規のこの一言に感動したのでしょう。僭越な感想ですが、文豪が、まさに私が努力して到達したいと思っている人生の終末を至言で表してくれています。 ブログのその部分をコピーします。 さてさて、今日は正岡子規の言葉を紹介しようと思い、ブログを書きました。 正岡子規、ご存知ですか? 明治時代の文学者ですが、病気がちなこともあり、書いている文章も多くが病との闘いを通したものが多いのですが、心に残った文章がありましたのでご紹介させていただきます。 とても有名な言葉のようですが、私は知りませんでした。彼の『病牀六尺』 からの一節です。 -------------------------------------------------------------------------- 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、 悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であつた。 -------------------------------------------------------------------------- 更なるコメントは必要ないと思います。 ![]() とうとう平成20年5月に入りました。このブログをはじめたのが2007年8月。3ヶ月を単位として時間を乗り切る努力をすることにしました。5月からいよいよ第4期目、10ヶ月目に入りました。 そこでブログタイトルを「The Fourth Three Months」に変更し、新たな3ヶ月にチャレンジすることにしました。 よく人はしたり顔に、「残り少ない人生、日一日を充実して過ごすように」と、すぐできるようなことを言います。私のような平凡な人間にこのアドバイスを実行することは不可能です。「恐れ」の考えを避けるため、できる限りスムーズに時間が過ぎるよう普通の生活を送る努力をするくらいでしょうか。 「努力」とつい書いてしまいました。ここにある私の「努力」は、見る、読む、聞く、書くに今までよりももう少し注意を注ぐ、見るときはちょっと凝視する、読むときは少し遅く読む、聞くときはもう少し注意を向ける、書くときはよい文章になるように、と言う意味です。これで案外時間がつぶれ、「恐れ」を排除することができます。この習慣ができると、時間を過ごすことにかなり充実感を覚えることができます。 Aさん、ちょっとやってみませんか。 今はゴールデンウイークのさなか。私のブログも少しお休みにしたいと思います。 A Happy Golden Week! ![]() 4月26日に、「私は大腸癌が腹膜転移したステージ4大腸癌患者で、これからの事を考えると明るい材料は何一つありません。FewMoreMonthsさんは、大腸癌から肺転移、骨転移、脳転移となり、抗癌剤も使い切った状態で、結構厳しい状態とご自身もいわれていますね。しかし、まるで自分という存在を超越し、冷静に、これまでご自身が行ってきた研究の将来像を慮っておられます。私は正直、今後の事も恐れるばかりで、中々考えられません。その前向きな考え、行動は、一体どういう心の持ち方をしたらできるのか、ご教示頂けませんでしょうか。失礼を承知の上、お頼み申し上げます」とのコメントをいただきました。 ステージ4大腸癌患者さん。Aさんと呼ばせてください。Aさん、毎日さぞかしおつらいことと存じます。同じ境遇として共感します。4月26日に上のようなコメントをわがブログにいただき、精神状態がいつ崩壊するかを心配している者としてとても答える資格はないな、と悩んでいました。 しかし、自分の精神状態を記録するのも一興かなと思い、まったく個人的な精神の葛藤を少しずつ書くのにいい機会を頂いたと考えるようになりました。 それでは、今日の分をはじめます。 私ももちろん「今後の事も恐れるばかり」の時期があり、今も無論あります。この「恐れ」に自分なりの対処することに必死になって努力しています。 まず、根底にある考えは、「恥ずかしい死に方をしたくない」が出発点でした。 弱い人間ですから、やることは簡単です(難しいですが)。 ①「恐れ」の考えを徹底的に避ける。ちょっとでも恐れが浮かんだら他の考えに強制的に変える。 ②「自己の死」の考えが浮かんだら他の考えに強制的に変える。死は自分だけに来るのではない。すべての人間にくる。年齢にもよるが、死の訪れは、高々10~20年の差だ。その間の世界がどうしても生きて見なければならない価値があるとは思わない。 ③自分が「がん」になった理由はすべて自分にある(私の場合は)。自分以外を決して恨まない。 ④まだできなくて困っていることが一つ。妻につい愚痴を言ってしまい、彼女を精神的に追い詰めてしまう。これを克服しなければ。 以上です。あとは、各項目について具体的に何をするか、です。実は私にとってこれらの具体的行動は修行の一種です(ちょっと非科学的臭いがしますが)。 人によってやるべきことはまったく違うと思います。後日から細々と書きたいのは、私の個人的アクションです。ご参考になるかどうか。 ![]() またまた閑話休題です。 昨日、佐々木閑先生の朝日新聞エッセイ「日々是修行」を久しぶりに読み、その内容を紹介しました。関連した内容は2月19日のブログにも出ています。 気楽にチューリップの写真をご覧になって、「多世界宇宙論」をイメージしていただけたら、と思います。 2月9日に、「多宇宙論では、たとえ一般相対性理論や素粒子理論の基本法則が同じであっても(多宇宙論自体が一般相対性理論と素粒子理論を使って導出された)、その中にある基本的パラメータは自由な値をとることが出来ます。そのため、ほとんどの宇宙はビッグバン後直ちにつぶれてしまうでしょう。我々の宇宙の特殊性は何なのか、というのが議論されてきました。「人間原理、Anthropic Principle」に逃げ込むというのが現在の考えです。つまり、我々が生存できるちょうど適当なパラメータを持った宇宙が我々の宇宙である、ということです。」と書きました。 われわれが住んでいる宇宙は、10の100乗個以上の可能性がある宇宙の中でたった一つのものだ。たまたまそこにわれわれの生命を育むちょうどよいパラメータが存在した、われわれは幸いなるかな、と言うのが人間原理です。 異なった宇宙と情報を交換することはできないので(現在は。下手にできるようになると、両方の宇宙は相互の反応で崩壊してしまう。)、この議論は形而上学・神学議論となんら変わりません。しかし無限にイメージを膨らますことはお遊びとしてよいのではないでしょうか。 上の写真は、我が家のチューリップの写真です。上向きに時間が走っているとします。チューリップのつぼみが膨らみ始めた場所が宇宙のビッグバンです。つぼみが咲かずにしぼんでしまうということは、残念ながら宇宙がつぶれたことを示します。咲き始めた宇宙は、めでたくわれわれがすむことのできる世界です。この写真では可住世界が多すぎますが花のイメージですから。可住世界は、先ほど言いましたように、10の100乗個以上あるうちのひとつです。 ![]() (昨年春友人に頂いたコチョウランが越年して数日前開花。どうもありがとう。4月19日撮影。クリックすると大きくなります。) 閑話休題です。 昨日、一昨日と2日連続して都心に行ったらさすがに疲れてしまい、今日午前中はずっとベッドの中でした。よく散歩する坂川に出かけたかったのですが、今日も天気が悪いので、家にいてゆっくり休むことにします。 コチョウランですが、年を越してめでたく咲きました。よかった、よかった。10個以上咲くようなので楽しみです。友人のTさん、ありがとう。 さて、入院などトラブル続きだったので、新聞を見る余裕もなく、今日4月17日朝日新聞夕刊に出た佐々木閑先生の記事を久しぶりに読み、いつもながら学ぶところがありました。 簡単に紹介します。 「この世界は、時々刻々と分裂を繰り返していて、あなた自身も次々と分裂している。今ここにいるあなたは、そういった平行世界の中に大勢いるあなたの中の一人にすぎない。他の世界には別のあなたが存在しているのだ」 「この説は、れっきとした物理学の理論である。『多世界解釈』という。正しい理屈と、精密な計算の結果得られる、正当な理論であって、多くの科学者が認めている(私も支持者だ)。」 「釈迦は「合理的に考えよ」と言ったが、実践するのは難しい。だからこそ、そこに、修行という、独自の精神鍛錬が必要となるのである。」 昨日のブログで、「4月7日の朝日新聞に載った記事をもう一度読み返す。表題は、クロストーク:柄谷行人さんに分子生物学者福岡伸一さんが聞く:科学者の課題は何ですか、「未来の他者」との対話が必要、温暖化論議の陰に原発推進論」をもう一度読み返した、と書きました。この佐々木先生のエッセイに関して、柄谷、福岡両氏がどうレスポンスするのか、ぜひ聞きたいと思いました。(朝日新聞さん、聞いてくれませんか)。 しかし、佐々木先生は、途方もない仏教学者ですね。私も一応宇宙物理学をかじっていますが、多世界宇宙論は勉強していないので、佐々木先生とお話しすることもできません。恥ずかしい限りです。 恥の重ねになりますが、1,2コメントしたいと思います。 ①上に「多くの科学者が認めている(私も支持者だ)」とありますが、『認めている』とは、実際科学者が何を認めていると言おうとしているのか。 ②「合理的」と書かれているが、私にとってむしろ「論理的」というほうがしっくりする。多世界宇宙論は論理的に誤謬がない理論だからです。まあ、同じことかもしれませんが。 ③論理的に整合の取れた理論構造は、天才の頭脳の中で無限に作ることができます。しかし、その理論を自然が採用しているかどうかは、まったく別問題です。 ④そのため、自然がどの理論を実際に採用しているのかを観察等で調べることは、理論構築と同じかそれ以上に重要な科学作業だと考えているのです。 ![]() (アカシデ若葉の成長力を見よ。4月15日撮影。) 閑話休題です。 ひどい雨です。天気が不順ですが、気温は案外高めです。植物には最適な天気です。今日も東京へ向かっています。雨なので道路は大変混んでいます。 昨日久しぶりに東京の仕事場に出かけました。ちょっと無理くさかったのですが、幸い短時間でたどり着き一安心しました。違った都会の景色を見るのも元気の糧になります。 仕事場では、大変ご迷惑をかけているにもかかわらず、皆さん何事もなかったように迎えてくれました。感謝感激です。 もともと人付き合いが苦手なので科学を職業にしました。管理職なぞやらされると否応なく対人相手が最も重要な仕事となり気苦労の多い日が続きました。 致死の病にかかると考えも変わりますね。ヒトを相手することは、素粒子という無機体やものを言わない植物を相手するのと同じくらい楽しく興味深くなりました。(失礼な発言をどうぞお許しください!)今頃気がついても手遅れですが。 今日は、2つ会議に出ます。久しぶりに皆さんと会えることが楽しみです。 ちょっと昔の記事ですか、4月7日の朝日新聞に載った記事をもう一度読み返しています。 表題は、 クロストーク 柄谷行人さんに分子生物学者福岡伸一さんが聞く 科学者の課題は何ですか 「未来の他者」との対話が必要 温暖化論議の陰に原発推進論 このトークは、当たり前のことが多く自明ですが、ペシミスティックなところが気になります。科学は常にオプティミスティックでなければなりません。私見ですが、ペシミスティックな態度は、理解できていない科学を対話や報告で無理して使おうとするときに起きるようです。自信のなさの表れですね。 ヒトの頭脳は、進化し続ける科学を理解できなくなりつつある、いや、ほとんどの人たちはすでにそうなっているかもしれない、というニュアンスが臭ってきます。このことは後日もう少し考えて書いてみたいと思います。 ![]() 今日は土曜日。気楽なお話です。 昨日4月11日は大変よい天気でした。少し腹筋など力も出てきたので、猫の額の庭に出たり、近くの川に散歩に行ってきました。 川の土手はすっかり緑になっていました。雑草の名前は今まで覚えたことがありませんでした。ナノハナ、タンポポ、ヒメオドリコソウはわかりますが、背の高いいくつかの植物の名前がわからず、ちょっとフラストレーションが出ました。早速家に帰って野草図鑑(春)を見たのですが、名前が見つかりません。あまりにも当たり前の草らしい。後でもう一度探そう。 家に帰るとき、調整池の土手に大きく育っているアカヤナギを見に行きました。新しい葉とつぼみが無数についています。調整池は今後改造されるので、このアカヤナギは伐採されるのでしょうか。かわいそうで残念です。 上の写真は、庭で10歩くらいの短い距離に咲いている春の花です。(写真が低解像度で恐縮です。)青い色の花が多いです。 なぜか妻は、どこにでもある雑草「オオイヌノフグリ」が気に入っていて、春の庭で真っ先に咲くようになっています。ワスレナグサに比べると、花は貧弱ですが群落を作ったときバランスは案外よいですね。 生命の息吹と言うのでしょうか。このように、春の草と対話をするように素直に見るのは初めてです。 病状が進むと精神の荒廃が進むことを恐れていたのですが、今のところ、むしろ精神の清澄化が進みつつあるような気がします。もちろんこれからのことはわかりませんが。 ![]() (入院している病院のきれいな庭。高解像度で撮ったので庭の一部。4月2日、逆光で撮影してしまった。) 入院11日目になりました。明日4月3日は他の病院にガンマ線治療に行き、1泊ののち、4月4日今の病院に再入院します。脳内圧力が出る可能性があるので点滴治療を継続するためです。やれやれ。 脳のほうはだいぶ元気になりました。しかし、新聞や小説を読んだりテレビを見るのが億劫です。まだ完全回復ではありませんね。 しかし、ある程度元気になったので退屈至極です。仕方がないので、病院に2つ持ち込みました。まず、iPODです。娘に私が集めてきたCDファイルをダウンロードしてもらいました。時間つぶしには持ってこいです。 次に、パナソニックのWindows Vistaを持ち込んで、いろいろなソフトを導入しました。ようやく研究所にあるメーラーを動かすことができましたが、VPNがまだです。このため、e-journalを見ることができません。まだ脳がおかしいので問題ありませんが。 Windows Vistaに入れたOffice 2007では、今までに作ったパワーポイントが正常に動きませんね。若手専門家のH君に見てもらって、とりあえず昔のファイルが見えるようになりました。感謝感謝。 だんだん入院室がオフィスに変化していきます。 アルバイト先の仕事にも注文をつけるようになり、皆いやな顔をしていることでしょう。インターネットの利点と欠点ですね。 今日は気温も高くなり、妻を伴って病院内の庭を散歩しました。カメラも持ってきていて、写真を撮りました。解像度をブログ用にセットしなかったので、写真を大幅にトリミングしてメモリーサイズを小さくせざるを得ませんでした。上の写真は、庭のほんの一部を示しています。田舎にある病院は本当にいいですね。都心の病院では、こうはいきません。 カメラのメモリーもパナソニックで取り込めるようにしました。手持ちのハードをつなげるだけですが。 今の脳の状態でも、コンピューターと遊ぶことができます。仕事で昔から付き合ってきからでしょう。むろん、年を取ってから自分でガリガリやることはなくなったのですが。 新聞、小説を読んだり、テレビもゆっくり見ることができるといいな。 ![]() (病室で咲くバイモユリ、面白いお見舞いの花) ごめんなさい。記述に誤りがありました。まだ「せん妄」が取れていないようです。訂正しました。 今日、平成20年度当初2008年4月1日に入りました。この日をあいにく病院で迎えたのは残念です。しかし、3月23日に意識不明で担ぎ込まれた時と比べると、うれしいことに病状は非常に改善しました。何事もポジティブに考えることが肝心です。 今日は、兄と姉が見舞いに病院に来ました。妻も入れて、3時間もぶっ続けに話すことができるほど元気で、楽しい会話をすることができました。兄弟たちと会うのも1年ぶりくらいでしょうか。 私の生まれた実家は長命な者が多く、私も含めた6人兄弟の中で病気をしているのは私だけです。あとの5人は健康そのものです。今日は3人来たのですが、いかにも100歳まで生きるような顔をしていました。私が平均年齢を引き下げる役を受け持たなければなりません。 病気の説明、病院の対応、医師たちへの感謝、今後の予想、死の対応など、まず私の説明から始まりました。そのあと、兄弟たちの近況、子どもたち、孫たちの活躍などを聞きました。皆元気で過ごしていて大いに安心しました。私もむろん子供たちや孫の自慢をしましたよ。 お墓をまだ買っていないのですが、兄弟たちの意見をもらいました。実家にちょっと近い「富士霊園」に墓を造ること賛成してもらいました。無宗教だと言ったら、実家は昔から曹洞宗の檀家だったので、兄がちょっとびっくりしていましたが、元自然科学者ということで、了解してもらいました。 ブログを始めたのが昨年の8月。3か月を1期として考えています。うれしいことに3期中途、8か月を無事生き残ることができました。次は4期を目標に頑張ります。 The Fourth Three-Months最中の5月、もし体調が良ければ、静岡県の委員会に出席し、ホテル1泊ののち翌日富士市に出向いて両親の墓をお参りすることを伝えました。今から楽しみです。 ![]() (「犀の角たち」の表紙の一部。) 佐々木先生の「犀の角たち」をいろいろ紹介しました。恐れ多くも佐々木先生からもコメントを頂きました。そのコメントに関する私の考えも含めて、書き残したことをここに記します。 その前に、佐々木先生から「犀の角」のご本を頂き、本当に感謝しています。古代仏教、そして科学に関しても、得るところが多くありました。 その1 「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その1」の最後に、 私は、「脳の直覚=神の考え」には違和感を覚えます。聖典に書かれていることは、神が預言者に啓示した人知の及ばない律法だと考えたいところです。」と書きました。徹底的に超越者の存在を否定する私がなぜこのように言ったか説明します。 私が尊敬している高名な科学者(故人も含む)に、何人かのキリスト教信者がいます。論理に徹している彼ら先生方が、教会に通い賛美歌を歌って、実に穏やかな研究生活を送っているのを目の当たりにしてきました。 彼らは、超越者としての神、そして神が預言者に下した啓示を信じていたのではないか。このトップダウンの教えと、論理で組み立てる科学とが心の中でどう整合性をとっていたのか。私は直接にたずねることをしなかったので、今でも疑問のままです。 このような経験があって、「脳の直覚=神の考え」に一歩下がった物言いをした次第です。まだ私の理解を超えた何かがあるのではないか。 その2 「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その2、脳科学は科学に突破口を開くか」の中で、 「確かに科学は、人間の脳によってなされた自然界の抽象化にほかなりません。しかし、得られた科学は、決して人間固有な特殊化されたものではなく普遍的なもので、人間ではない他の星に住む生物にとっても理解可能な論理なのです。」と主張しました。 これに対する反論として、 「地球という小世界の中で,ある特定の条件下,特定の道筋で進化してきて生み出された我々ヒトという生命種の,その認識が,絶対的普遍性を持つということが不自然に感じられるのです。原始的生命体にはもちろん眼はありませんでしたから,もしそのまま知性が発達したら,光という概念を持たない宇宙観を創成したはずです。ところがなんらかの条件が整って,一部の電磁波領域を認識できる「眼」という器官を持つ生命へと変化して,我々人間になったわけですが,それは偶然の産物だろうと思います。」 私の考えは、 ・人間と同じ目や耳を持った高度文明を有する生命体が宇宙にいるとは思いません。これには同意します。ただし、光はわが宇宙でもっとも情報伝達に適したものなので、光を使わない高度文明を持つ生命体は、ちょっと想像できないことも確かです。 ・高度な観測手段を持たない生命体は高度文明を築くことは出来なかったと思います。 ・彼らが高度文明を得る過程で、必ず周囲および宇宙を観測する手段を手に入れたに違いがありません。その手段が、光を使おうがニュートリノを使おうが重力波を使おうが、それは本質的なことではありません。問題は、それらの観測手段を駆使して、得られた観測事実を抽象化し体系化して知識にしていったはずだということです。 ・我々は、宇宙の精密観測によって、1億光年彼方にある原子も地上にある原子と同じものだということを知っています。つまり、われわれの宇宙は、時間経過の違いを考慮すれば、一様で等方的かつ同じ法則の支配する世界です。 ・1億光年離れたところにいる高度文明を持った生命体も、同じ宇宙とそれを支配している法則を理解しているはずです。 ・「われわれの住む宇宙は何年前に生まれたのですか」という質問に対して、我々も彼方の生命体もまったく同じ答えを出すはずです。 ・また、「宇宙に最も多くある元素は何か」という問いには、1個の陽子の周りを電子が1個回っている構造体だ(元素や陽子や電子の名前は違うでしょうが)という答えで一致するはずでしょう。 私は、高度文明を持ったすべての生命体は、これらの基本的な設問に同じ答えを出すに違いないと確信します。私が言う、科学の普遍的意味とは以上のことをさします。 その3 「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その2、脳科学は科学に突破口を開くか」や、「佐々木閑先生の「犀の角たち」を読み返す、その4、日本にある大乗仏教はおすがりする宗教」の中で、多宇宙(Multiverse)に言及しましたが、無論それが宗教と関係あるわけではありません。単に、仏教者が似たようなアイディアに至ったことに驚嘆したのです。 多宇宙論では、たとえ一般相対性理論や素粒子理論の基本法則が同じであっても(多宇宙論自体が一般相対性理論と素粒子理論を使って導出された)、その中にある基本的パラメータは自由な値をとることが出来ます。そのため、ほとんどの宇宙はビッグバン後直ちにつぶれてしまうでしょう。我々の宇宙の特殊性は何なのか、というのが議論されてきました。「人間原理、Anthropic Principle」に逃げ込むというのが現在の考えです。つまり、我々が生存できるちょうど適当なパラメータを持った宇宙が我々の宇宙である、ということです。 私を含めて多くの科学者はこのアイディアを好みません。人間原理は、科学をもうやる必要はないという、敗北主義につながるおそれがあるからです。 宗教の話が科学のほうにそれてしまいました。大昔、遠藤周作の本を読んだとき、イスラエルの遺跡に行った登場人物が歴史や事実に関していろいろ質問したとき、案内していたイスラエル人が、宗教は研究するものではなく、信じるものですよ!といった言葉が今でも心に残っています。 神を信じるものは幸せかな。科学に身を捧げた人生も悪くはなかった。 < 前のページ次のページ >
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